B'zとニッポンの批評空間と俺
- Kenij Endou
- 2016年7月20日
- 読了時間: 2分
こんにちわ、梅雨が明けましたね。暑い日が続きますが、どうお過ごしでしょうか?さっきドライブしていてふっとわいてきた長年の思いを、今回のブログに書こうと思います。熱が入る。

私は幸福な中学生だったように思う。親にも愛され、友達も多く、横道にそれることもなく、恋人こそいなかったが、順調な学生生活を送っていたように思う。そして、傍らにはB'zがあった。
Best Hit Japanしか聴かなかった中学生の私は、当然お金もなく、チャリンコをこいで、近くのCDショップまで、B'zのアルバムを友達と買いに行ったものだ。稲葉の歌唱は艶やかで、松本のギターは群を抜いてうまく(そう聴こえた)私は夢中になっていた。そして、幸福だった中学時代が終わる。
高校生になった私は、クラスで孤立し、行き場所を失っていた。いつしか中学時代の友達とも離れ、洋楽や渋谷系を一人悲しい顔で聴き、B’zという「通俗的な」音楽を聴かなくなっていった。暗黒の青春である。
そして、大学生になった私は、バンドを組み、ROCKIN’ONを通読する、典型的な、音楽青年になっていた。当然B’zは聴かない。と同時に、音楽批評空間で、B'zが軽んじて語られるのを何度も読んだ。そして、かすかに違和感を感じていた。以上、回想、終わり。
B'zはいいバンドだと思う。稲葉の歌唱はプロフェッショナルだし、松本のギターはオールドウェイブながらも確かな技術に裏打ちされて、秀逸だと思っている。私がギターを初めて弾きたいを思ったのは、実は、Tak Matsumotoの音色を聴いてからだ。雑誌などでB'zが軽んじられて語られるとき、私はそのたびに悲しい思いをしていたのは事実である。?な曲を作る時もあるが、そんなのほかのミュージシャンだって同じだ。ファッションや音楽性がオールドウェイブなのは認めよう。しかし、それが、音楽の良しあしを決める、決定的な要素になりうるだろうか?売れ線狙いは露骨だけれども、それなら君は経済圏で生活していないのか?それに、売れ線で、長年いい曲をつくり続ける、良心的ミュージシャンと言えないだろうか?私のニッポンの音楽批評家たちへの根源的懐疑は、B'zから始まっている。
偉そうになった。批評空間でどういわれようとも、私はB’zを聴き続ける。酸いも甘いも知ってる、30、40代サラリーマンたちと一緒にB'zを聴き続ける。長文スマヌ。
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