PCのデータが落ちて考えること
- Kenij Endou
- 2017年2月6日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年9月14日
どうも、こんにちわ。Kenji Endouです。節分も過ぎたこの時期、寒さもひとしおですがどうお過ごしでしょうか?ワインなんぞ嗜みながら、このブログを書いています。と、いっても安物ですが 笑
さて、パソコンを修理に出したら、データが根こそぎ消えて帰ってきたのが去年の確か秋。そこから少しずつ復旧させていたのですが、iTunesに入っていた膨大な曲データ(14000曲くらい)を入れなおすのにどーしてもスイッチが入らず、先週くらいになって、えっちらおっちらCDを一枚ずつ入れているところです。Apple musicとかに入ってしまえばいいのでしょうが、CDという媒体から何となく離れることができず、未だにAmazonとかの一枚¥500とかの名作たちを、「うっひょー、あれが500えん?ありえん。」などと考えながら、アーガイヴしています。(かさばる)
周知の事実ですが、音楽が産業として成り立たなくなってしまっています。90年代にCDが100万枚売れた時代は遠い昔、Youtubeで、無料で聞きたい放題だし、それこそApple musicとかがあるわけだし、お金のない若い人はそうやってお金をかけずに音楽を楽しみ、聴いたそばからポイポイ捨てていく、そんな光景が目に浮かびます。コアな音楽好きはいるのでしょうが、それは昔と変わらず少数でしょう。何しろ演奏家、作家たちが食っていけないし、なり手も減っていくのだと思います。音楽は、絵画や陶芸などのように、一部のファンのためのものになっていく、のかもしれません。

そんな斜陽産業である音楽業界で熱量を発するためには、どうすればいいのでしょうか?この問いはすべての作り手側の人間に突き付けられているものです。自分は当たり前のことしか思い浮かべられないです。よい音楽をより多く聴き、音楽以外の作品にもアンテナを高く立て、世の中に起こる事象に目を光らせ、自分の手で、人生を切り開いていく、こうした当たり前の姿勢をいかに保持できるかにかかっているような気がします。何はともあれ自分の人生を生きること。それしかないのではないのでしょうか?
なんだが真面目説教な感じになってしまい、うーむという感じですが、「常識という大地を踏まねば、高くは飛べまい」が身上の自分なので、許して。えへ。というわけでKenji Endouでした。みなさん、よき日々を。
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